clarity - 帆志 青記

ある時 スピリチュアルな方面に感覚の開くことになった経験からの記事を綴っています。

閉鎖的な世界観

 

 

スピリチュアルは、ある意味 とても閉鎖的な空間です。

 

何故なら、外界(世界)に対しての行動(働きかけ)が不必要な世界であり 忘れてしまいがちであるからです。

 

スピリチュアルな世界と一般(通常)世界との分離がここにはあることになり

それは、個人の世界観とリンクします。

個人の中でのそれを示すならば、物質面と非物質面、肉体と霊的なもの となるでしょうか。

 

要するに、世界の中で 自分自身を使って表現することを拒んでいる状態で

自分の中で 現象界に影響を及ぼそうとする試みなのです。

 

この出来事の エゴにとっての利点は、評価 判断されないこと。

 

自分自身を強烈に評価判断している人に多いパターンです。

 

 

 

= スピリチュアルは、霊的なものであるために

物質的なものと分離する」という事例ですね。

 

誰か一人の 何か一つの価値観は、それが如何に素晴らしいものであれど そこに分離を運びます。

 

 

 

 

手放すこととは

 

 

よく、スピリチュアルの世界では 手放すことが行われています。

性懲りもなく 経験した本人です。^_^

 

 

が、こちらの「 手放す 」

意外と厄介なもので、手放すには それなりの理由がある訳で 

更に、手放したスペースには その反対側の極にあるものが呼び込まれる仕組みとなっています。

 

なので、偏に 単なる豊富な豊かさ を幸せと捉えられない人には 結局のところ 苦悩の種となります。

何故なら、表面が変わっただけで 根本的な部分には影響していないから。

変化の質というもの、本人の欲求たるものが

大きな判断(受け取り)の基準になってくる訳ですね^^

 

手放すことは、執着をしないことであり、

その先に 投影をしないことにも繋がります^^

 

 

没頭

 

今回、訪れたキーワードは「没頭 」

 

 

それは、霊的なものが物質的な世界に生まれる

にあたりルールやシステムのようなものです。

 

 

人は、この世界に生じるときから

経験が生じます。

 

「 分離 」

 

そして、これが 「没頭 」の鍵。

 

 

 

よく見かけるスピリチュアルは、その没頭からの脱却。

役を降りるという行為に当たります。

 

分離なくして 中庸を求めることは出来ず、

その極は 2極に渡り分離を構成しており

一つの現象について裏と表をもって、初めて中庸をみることができます。

 

そして、その分離とは、中庸とは 当初よりなかったものとして 知りながらにして接することができるのです。

 

 

 

分離は没頭が鍵。

 

 

経験を欲していた」とも呼べるものです。

 

 

ある意味では、ここに生じた、務め。たるものでもあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

道程と現況

 

 

自身の道程とは、自身のストーリー。

 

 

事細かに拾い上げれば、料理に効いたスパイスのように そこにそれぞれの味わいをもたらすものだと思う。が、笑

 

どこから、何を書けばいいのかな。。。

 

 

 

 

 

自身は、専業主婦。

 

前夫との間の子供 娘三人と

現夫との間に昨年 授かった男児とペットという形のメンバーとの生活を営んでおり、

 

スピリチュアルの探求にいたっては、探求という時期を過ぎ 実生活の中の明晰さある日々を漂いながら過ごしています。

 

自身の性質といえば、自他イコールであり

極に訪れる その振り幅故の葛藤というものを多く過ごして(こなして)きたように思う。

 

 

 

 

 

 

。。。とか?笑

 

 

 

 

とにかく

 

 

 

 

今更ながら(笑)シェアしようという試みです。

 

 

 

 

ここから スタート

 

はじめまして、こんにちは。

 

帆志 青記です。

ほし あおき、と読みます。

 

 

自身にとって、この世界は不思議だらけで

どの切り口から 何をどう扱えばいいのかもお題無しには 正直 分かりませんが、ブログをはじめる運びとなりました。

 

 

 

どうぞ、よろしくお願い致します。